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高麗神社に行ってみました:その2高麗山聖天院勝楽寺 [史跡めぐり]

高麗神社の参拝を済ませて徒歩15分ほどにある、「高麗山聖天院勝楽寺」という寺に行ってみました。ここは高麗神社のお寺バージョンというもので、751年に建立された真言宗智山派の古刹になります。

建立の経緯は先の高麗神社に祀られている高句麗からやってきた高麗王若光の親族や配下の僧が建立したようです。この若光王は神道の神社と仏教の寺と二つの宗教施設に祀られているようで、なんとも人徳の高い王(または王扱いの朝鮮人)と推察されます。1300年もずっと絶えることなく続いていたのですから凄いことです。
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正面からです。両サイドにある「将軍票」という朝鮮の伝統的な魔除のトーテンポールのような塔は建立当時からあったのでしょうか?最近時に建てられたのではないでしょうかね.......高麗神社にもありましたが、建立は大韓民国民団とありました。
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大きくて立派な山門を通過しようとすると、スマホで撮ったので明るく写っていますが、本当は真っ黒な色で、この狛犬くんは随分と怖そうな顔をして参拝客を睨んでいます。
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今風に言えば、新興国の米国大使館を守る海兵隊員のようなものでしょうかね。恐ろしい形相で守りについています。他の寺に比較して目が異様に大きいいのが特徴ですがよく見るとこの目玉も本当の形はどうだったんでしょうかねと思うのです。体の彫り具合も相当深いものがありますね。
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上に上がると日高の街と低山がよく見えます。人もいなくて風も爽やかでした。
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立派な本堂です。これもかなり新しいのではないでしょうか。
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寺で参拝を済ませ(入場料300円)山門まで戻ると隣には高麗王若光の霊廟がありました。
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高麗神社でもらったパンフですが、私も情報収集に行ってみたいと思います。渡来人と帰化人の違いについて知りたいと思っています。またこれらの朝鮮人の地域における実績やその後の暮らしなども知りたいと思います。
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高麗神社に行ってみました:その1 [史跡めぐり]

昨日は以前から気になっていた日高市にある「高麗神社」に行ってみました。この神社がなぜ気になったかというと朝鮮人の渡来人が建てたそうでちょっと珍しいなという気がしていたのです。埼玉県には朝鮮からの渡来人が住んだ地域が他にもあり、隣の市の新座市は新羅からの渡来人が住んだそうです。

シラギが鈍ってニイザになったようです。以前立ち寄った新座市役所には新座市の歴史の説明にそのようなことが書いてありました。私は歴史を捏造する現在の中韓は好きではありませんが、自分の正確な歴史観を身につけるためには得られる情報が多いに越したことはありませんので足を運んでみました。2018年には天皇陛下もご訪問されているらしいです。
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結論からいうと高句麗が新羅と唐によって滅ぼざれた(668年)ことは知りませんでした(勉強不足!)百済が滅ぼされた(660年)後に高句麗も滅ぼされたのですね。高句麗は満洲人が作った国家だったと記憶しているのでその首長「高麗王若光」(こまおうじゃっこう)が朝鮮人だったかはちょっと不明のような気もします(満洲人かも....)

そして日本の古代史に朝鮮半島の禍が影響してできた神社という特殊なケースから日本史を俯瞰してみる姿勢を改めて学習出来てためになりました。百済滅亡、高句麗滅亡、元寇、朝鮮戦争、(秀吉の朝鮮出兵は別物).....どうも昔も今も日本は朝鮮半島有事における難民保護地域になってきたようです。百済滅亡以前にも多くの朝鮮半島からの難民がやってきていたのではないかとも推測されます。もう続かないで欲しいと思いますが.....親北の文政権後、その政策が継続するとどうなるやら....
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JR高麗川駅で降りました。西武鉄道高麗駅は少し遠くなるようです。徒歩15分くらいです。周辺は閑静な住宅街と長閑な農地や竹林が広がっており、美しい初夏の花も迎えてくれました。
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高麗神社に近づくと何やら場違いな派手目な行き先表示が現れました。うーん、ちょっと違うな的感覚がスタートします。
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立派な神社です。大きな鳥居が二箇所にあります。この高麗神社の文字は戦前の大日本帝国陸軍朝鮮軍の司令官の直筆を彫ったものだそうです。当時の朝鮮軍の指揮は天皇と直結されていたようなことを聞いたことがあるので、軍の中でも高い地位を与えられていたのかもしれません。
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高麗神社の説明がされています。その昔から朝鮮半島内での戦争が続いており、半島が一枚岩ではないことがわかります。新羅が唐という外国勢力を使って隣の百済や高句麗を潰すというのは、日本では考えられないことですが、大陸ではフツーのことなのかもしれません。しかし明治維新がそれに近いのかもしれませんね。
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立派で屋根のラインが美しいい本殿です。再建されたのが非常に最近ではないかと思います。ちょいと派手な感じがしますが創立時はどうだったんでしょうか?寺社も再建される度にデザイン変更されていくんでしょうかね。何回フルモデルチェンジしたんだろうか(笑)参拝後、御朱印帳に記帳していただきました。
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詩人、歌人、学者かな......思いを寄せていらっしゃる、立ち止まって読んでみました。
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当時の高麗の地の復元住宅です。中も外観も日本の古民家と全く変わりません。当たり前ですね。左側にある大きな木が枝垂れ桜で来年は開花の季節に再訪してみたいと思います。


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縄文文化が世界遺産へ登録の見通し! [史跡めぐり]

昨年の1月、コロナがまだあまり国内で危険視されていなかった頃、青森県の三内丸山遺跡を訪れたことはブログに載せていますが、縄文文化が世界遺産へ登録の見通しとなったようです。昨年訪れた時は史跡案内のボランティアの方が努力はしているのですが.......

という回答でしたが、木曜日の産経新聞を見るとほぼ確定ということで、私は大変喜んでいます。エジプト文明など外国の文明は石の文明なので遺跡がはっきりと残っているので世界遺産に登録しやすいのですが、朽ちて遺跡が残りにくい木の文化である縄文文化が登録されるというのは新しい判断だと思って高く評価されていいのではないでしょうか

今後世界史や日本史は新たな地平線を迎えることになると思います。これまでの様に近代史の偏った人種差別や政治判断で歴史が変更捏造されることはなくなっていくといいのですが。私はこれからも日本各地の縄文遺跡探索を継続して楽しんでいきたいと思います。

遺跡からは4000年前の人骨も発見されており、この人骨からポリオ(小児麻痺)にかかった障害児が介護されていたようだという説も出ているそうで、豊かな自然に囲まれて助け合いの精神で暮らしていた縄文人が日本人の先祖というのは嬉しいやら、そして今の日本人は........と思ってしまうやら.......です
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群馬県保渡田古墳群に行ってみました!〜その2:博物館とその他 [史跡めぐり]

かみつけの里博物館に入場してみました。規模は小さく、陳列の仕方ももう少し工夫があって良いのかもしれません。この古墳から発掘された様々な品が陳列されています。近現代史の再学習は進めてきました。ほぼ全容がわかってきたので(勝手にそう思っている)

次は古墳時代などに焦点を当てて再学習するのも面白いかな、とも思っています。というのもこの古墳時代、大和朝廷の力は強大で、その勢力は朝鮮半島南部もその勢力下においていることは、釜山周辺や韓国南部から十数基の前方後円墳の存在から明らかです(韓国の学者は認めたく無いようですが)

「優れた技術を朝鮮から学んだ」と飾履(靴)(金銀などで飾られた実用的ではない靴)の展示説明には書かれているのですが.....その他にも中高生時代社会の勉強では優れたものはほぼ全部中国や朝鮮から学んだことになっていますが、本当かな.....

日本史をネットで学習すると(もぎせかチャネルなど)山川の教科書とは違った解説が発見できます。本当にこの古墳時代の南朝鮮は高度な技術を持った地域だったのでしょうか。南朝鮮には金鉱が無いようです(北朝鮮にはある)そんな中どうやって金細工の靴を作ったのでしょうか?日本には金山も銀山もありました。疑問です。

近代史に続き古代史も大幅に見直しが必要ではないでしょうか。この博物館の学芸員にこのような質問をしましたが納得できる回答は得られませんでした。「南朝鮮で発掘され飾履(靴)の方がここで発見されたそれよりも古いことがわかっています!」「韓国人の学者もそう言っています」とのことでしたが.......
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入場料200円です。65歳以上は無料です。
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展示ホールは一つだけです。小さいので時間をかけずに見て回れます。もう一つ工夫をしてもらいたいところですが予算が限られているのでしょうね。
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兵士の埴輪などが展示されています。すごく古代日本的なデザインでどこにも真似ていないオリジナリティーあふれるデザインで気に入っています。誰と戦っていたんでしょうかねこの兵士達。
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古墳時代の家の埴輪です。出雲大社などの建築様式にやや似ているのかな、とも思えますね。
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飾履(靴)(しょくり)のレプリカです。古墳時代って縄文時代の延長線と考えると縄文人のお洒落なデザイン志向が受け継がれているのではないかとも思えるのですが.......繋がりはないのでしょうかね。大陸からの渡来人達によって築かれた文化なのでしょうか?要研究です!
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かみつけの里博物館の周囲を散歩すると、ゴツゴツとした石を発見。その昔の榛名山の噴火の土石流の一部ではないのかな〜
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近くの「西光寺」に保管されている石棺です。この西光寺がある場所は、〇〇古墳があった場所で、寺はその土地に建てられています。縄文遺跡や古墳があった場所に寺や神社が建てられていることが多いようですね。大きな立派な石棺です。
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縄文時代からこの古墳時代までは、古代日本のオリジナリティーあふれる文化・文明のようで、次回奈良に散歩に行くときには事前にもう少し学習してから行ってみたいと思います。

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群馬県保渡田古墳群に行ってみました!〜その1:外側 [史跡めぐり]

昨年から行ってみたいと思いなかなか実行に移さなかった引きこもりマインドを振り切って、あの吉永小百合さんがJR東日本だと思ったけどCMに出ていた群馬県高崎市郊外の「保渡田古墳群(ほどたこふんぐん)」に行ってみました。

天気も快晴で大宮からは新幹線に乗らずに在来線の快速で、自宅から二時間弱で意外と早く着きました。高崎駅から路線バスに乗り保渡田で降りました。一つ手前のかみつけの里でもよかったようです。高崎駅バス停2番で10:35分発、乗車時間30分、運賃440円でした。帰りは市内循環バスというのがあるようでこれに乗り高崎駅まで35分、運賃200円でした。しかし停留所がやや離れているのがネックですが。

人はほとんどいなくて、天気も快晴、かみつけの里に心地よい風が吹いていて気分爽快。遠くの山々も美しく春の風に気持ちよく当たっているようでした。この保渡田古墳群は5世紀くらいの古墳群だそうですが、5世紀末と6世紀前半に二度にわたる榛名山の噴火で大量の火山灰に埋もれたようです。その後は1500年間畑や田んぼの下で眠っていたようです(笑)それにしても大和朝廷とは巨大な勢力だったんですね、今後の再勉強テーマになります。
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八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳とかみつけの里博物館などで構成されているのが、はにわの里公園ですが、左上の薬師塚古墳は復元されていなく道路や公園の土地になっているようです(泣)
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八幡塚古墳です。古墳の頂上には歩いていけます。外側を石でふいた墳丘墓です。周囲には埴輪が置かれています。
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古墳の上に到着です。向こうに博物館と二子山古墳が見えます。丸い円墳のようなのは、ここで古墳に葬られる人に対する「マツリ」が行われた場所のようです。
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頂上の直ぐ下にはホールがあり出土した石棺が置かれています。ずいぶんと大きな立派な石棺で、20年以上前にエジプトのクフ王のピラミッドに行った時の内部の石棺?と同じように立派なものだと思います。
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二子山古墳は周囲から見るだけですが、外側は石でふいてはいませんので、ぼうぼうの雑草で覆われています。三つの古墳の中では最初に作られたようです。
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セザンヌやゴッホが見たら素敵な油彩を描くのではないでしょうか。下の写真は青い麦が写っています。私も何気ない普通の風景をささっと描けるようになりたいと思っているのですが、まだまだ修行が必要なようです(笑)

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